今から50年以上も前磐田市に1つの美容室が生まれました。名前は「しづ子美容室」。
当時はまだ豊かとは決して言えない時代、美容室は街の女性たちにとって憧れと安らぎを提供する数少ない特別な場所でした。
カット、パーマだけでなく、成人式・結婚式など、 人生の晴れの日、大切な節目を彩る立役者でもありました。
時は過ぎ、時代は大きくゆっくりと流れて行く中、しづ子美容室は、磐田の女性と共に時代を進んできました。
初めて髪を切った少女が成人し、結婚をして出産、娘の結婚式に出席するまで・・・しづ子美容室の鏡は女性の一生の幸せを映しつづけてきました。
2005年、しづ子美容室は「しづ子美容室 オリー」として生まれ変わります。
今までも、そしてこれからも女性の幸せと共に美容室を訪れるゆったりとしたくつろぎを大切にしていきます。
このページではしづ子美容室の歴史をご紹介しています。
1950年。街に立つ電柱が、漆黒のコールタール塗りの木製だった時代。磐田の街に白く真新しい看板が設置された。
大きく片仮名で「パーマ」と書かれた看板が目を引く。
まだ物が豊かではなく、日本は貧しく、女性たちは家庭に入り、子供を育てる、そんな時代であった。しづ子美容室は、生活や家事に追われる女性たちに、 日常とは違った空間、特別なサロンとして次第に愛されるようになっていった。
現在では当たり前になっているパーマと言った技術も、いち早く導入し、しづ子美容室は長く愛される店として、磐田の街に徐々に溶け込んでいった。
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時代と共に女性の生活も変化していく。しづ子美容室に女性たちが求めるものも様々になっていった。ただ髪を切るだけでなく、華やかな成人式、結婚式も行われる様になっていった。
小学生のころ、お母さんに連れられて、恥ずかしそうに美容室に入ってきた少女はやがて大人になり、色鮮やかな振袖をまとい美しい女性に育っていく。和装姿の花嫁を美しく着付ける依頼も多く、真っ白なウエディングドレスをまとった花嫁にかかる白く美しいベールの奥には、しづ子美容室が施したメイクがあった。
しづ子美容室はいつも女性の人生の歩みのそばに、そっと寄り添い、時を重ね続けてきた。
かわらぬ想い、それは、女性の幸せと共に、豊かでやさしい時を過ごしてもらうこと。
美容室に来ていただくお客様とゆったりと語らいながら、生活のこと、TVの話題などで、楽しく時を共に過ごす幸せな時間を、しづ子美容室はゆっくりと確実に、重ねてきました。
50年という長い歴史の中で生まれたものは、数多くのお客様とのふれあい。そして幸せな時間の共有だけではありませんでした。
美容業界の草分けとして、しづ子美容室で働く多くの美容師たちがいました。彼女たちは夢を持ち、美容業界に入り、そして、しづ子のドアを叩いたのです。
50年間重ねてきたしづ子美容室の歴史は、多くの女性を美容師として育て、送りだしてきた歴史でもあります。今ではその中の多くの卒業生が、自分の夢であった店を持ち、さらに女性の幸せをかなえる場所としての多くの美容室を開業してきました。
しづ子美容室の想いは、彼女たちが女性の幸せを演出し、楽しくお客様と過ごす時間を大切にする限りいつも一緒です。
2005年5月、しづ子美容室は2代目社長 寺田典代により「しづ子美容室 オリー」として新たに進化しました。
しづ子を愛してくれた多くのお客様に、より素敵な時を過ごしてもらうために。
まだ舗装道路は無く、木製の電柱の街並に映える真新しい看板から長い年月が経ちました。時は流れ、時代は変わったとしても、しづ子美容室の想いは決して変わる事無く続いていきます。